【書評】『九夜』ベルナルド・カルヴァーリョ 水声社《ブラジル現代文学コレクション》からご紹介する一冊は、ルース・ベネディクトやクロード・レヴィ=ストロースなどの文化人類学者が入り乱れる、ラショーモンアプローチのポストモダン文学!あなたはブラジルの「藪の中」から、いったい何を掘り出しますか? 『九夜』著者 : ベルナルド・カルヴァーリョ翻訳 : 宮入亮価格 : ¥3000+税ISBN:978-4-8010-0543-3 C0397出版社 : 水声社発売日 : 2021年1月上旬 ブラジル奥地、森の中で若きアメリカ人が謎の死を遂げた。証言によれば自らの全身を剃刀で切り刻み、それから首を吊ったという。奇怪な死に方だ、それが調査中の人類学者だったというのだからなおさらに。 事件が起きたのは1939年。米国人ブエル・クエインはフィールドワークからの帰還中だった。複数の遺書が残されていたことから、自殺したことは確からしい。遺体はインディオ達がその場で埋葬したそうだ。 ブエルに何が起こったのか。二人の語り手が読者をいざなう。一人目は調査地に近い街の技師マノエル・ペルナ。ブエルが生前最後に友誼を結んだ人物だという。彼らが共にすごしたのはたったの九夜だったが、マノエルは彼が話したことを〈告白のようなものを越えたなにかだった〉と確信している。 二人目は著者の分身でもあるブラジル人作家。彼は2001年の新聞記事で偶然にブエルの名を見かけると、かつてその名を耳にした記憶を思い出し、運命に発見されてしまったかのようにブエルの謎を追いかけ始める。 作家はジャーナリストのように調査を進めていく。アメリカとブラジルの公文書館に残る文書、研究者や家族・友人らの書簡、著書、証言、そして写真。集めうる限りの資料を集め、読者に公開し、意見を述べる。フィールドワークの追体験と証言集めのため、ブエルが生前最後に調査していたクラホー族の元に滞在しさえする。 一方、マノエルの語りはある人物へ残した書簡という形をとる。その人物はブエルと深い関わりを持っており、彼宛の遺書も残されていたが、マノエルはある理由からそれを隠匿したという。 作家とマノエルの語りはほぼ交互に章を成し、ブエルの人生への推測や自己投影を多量に含みつつ、互いを補足し共鳴する。しかし両者には齟齬も多く、また作家の集める資料や証言もときに矛盾を起こす。 そしてあまりにも多くのことがすでに失われている。 芥川龍之介の短編『藪の中』のように真実は食い違い、ブエルの人物像は衝突を起こしていく。 はたして彼はインディオのために自己を犠牲にした聖人だったのか。それとも傷心の寝取られ男か。梅毒病みの臆病者、調査対象を卑しむ高慢な白人、ホモフォビアのクローゼット、繊細なブルジョワジー。さまざまな肖像が重なり合うが、孤独な流浪者だったという以上の共通点は見つからない。 マノエルは真実について冒頭部で次のように警告する。 覚悟しておかなければならない。誰かがそう前もって教えるだろう。ここまであなたを導いてきた真実と嘘が意味をもつことなどない土地へ入ることになる。インディオたちに尋ねてみるといい。どんなことでもかまわない。最初にあなたの脳裏によぎったことを。そして明日、起きたら、もう一度同じ質問をしてみるといい。明後日にも、さらにもう一度。常に同じ質問を。毎日、違った答えが返ってくるだろう。真実はあらゆる矛盾や無分別のなかに失われているのだ。過去が埋めてしまったものを追い求めに来るのなら、それは記憶の掘りおこされない土地の門にあるのかもしれないと知っておかなければならない。『九夜』p.9 しかし、ある真実に到達できないのは、なにも明らかにならないということではない。それどころかこの小説では多くのものが明らかになる。インディオを虐げ追いやるブラジル社会。ブラジルを包囲する西欧文明。それらのあいだにある多層的な不均衡と搾取。インディオ社会と文明社会の複雑な象徴的血縁関係。そしてインディオたちの「真実」のネガとして、私たちの「真実」の相対的な姿までも浮かんでくるのだ。 インディオの「真実」が気まぐれなのは彼らの文化的背景だけによるものではない。それは彼らの立場の極端な弱さにも由来する。インディオのような被抑圧者は文明社会の暴力から身を守るため自らを不利にする可能性のあることは言えず、どんな発言が不利かを見極める知識からも遠ざけられている。 他方、私たちの文明の「真実」の確かさはどれほどのものだろう。例えば9.11以降、ペンタゴンは諸外国の世論に働きかけるため虚偽であっても情報を普及させる戦略を取っていた。また事実の決定や保存を広汎に可能にするには資本の蓄積が必要だが、私たちはインディオや奴隷のような被抑圧者なしでそれを達成できたろうか。私たちが嘘を吐かないのも、そのほうが有利となる環境があるあいだだけにすぎないのではないか。 若き人類学者の死体は掘り出されない。その代わりにブラジルの森の奥から出土するのは、「被抑圧者であるインディオ」という鏡に映った、私たち自身の文化や文明の姿なのだ。 さらに、この小説にはフィクションとノンフィクションの境目を撹乱するような仕掛けまでも巡らされている。ルース・ベネディクト、ルース・ランディス、クロード・レヴィ=ストロースなど、著名な人類学者を始めとした実在人物の登場、実際の事件の影響、 文献・文学からの引用等々。ブエルにすら実在のモデルがいるのだ。これらの企みは作者自身が語り手として登場する仕掛けと共謀し、創作という概念の明快さを霧に包んでいく。 虚実の揺らいだ地平から事象を眺めるとき、マノエルと作家の語りのように、自己投影が混じりこむのはあり得ることだ。きっと私も例外ではいられないだろう。だからあなたが『九夜』を読んでブラジルの「藪の中」から掘り出すのは、ここに書かれたのとはまったく別の「真実」かもしれない。 『九夜』著者 : ベルナルド・カルヴァーリョ翻訳 : 宮入亮価格 : ¥3000+税ISBN:978-4-8010-0543-3 C0397出版社 : 水声社発売日 : 2021年1月上旬 他の書評 投稿ナビゲーション 【書評】『貝に続く場所にて』石沢麻依【書評】『アフター・クロード』アイリス・オーウェンス