【書評】『エルドラードの孤児』ミウトン・ハトゥン 19世紀後半から20世紀初頭にかけ、アマゾン奥地の大都市マナウスの興隆と衰退を条件づけていたゴム景気。ゴム輸出事業を引き継いだ放蕩息子アルミントが語るこの物語には、理想郷の夢がもたらした罪悪、被虐者の悲痛な神話的想像力、そして破滅から立ち昇る色気が充満しています。水声社《ブラジル現代文学コレクション》よりの一冊を、旅行案内もかねつつご紹介。 『エルドラードの孤児』著者 : ミウトン・ハトゥン翻訳 : 武田千香価格 : ¥2000+税ISBN:978-4-8010-0291-3 C0397出版社 : 水声社発売日 : 2017年11月中旬 水声社への直接注文はこちら。 見渡すかぎり大海原のような密林、きらきら光るのはアマゾン川の水面。この光景はどこまで続くのか、と突然、夢の開幕みたいに、森がひらけて近代的な建物の群れが姿を現す――熱帯地方のパリと呼ばれた大都市マナウスへ飛行機で行くならぜひ窓際の席を。こんな体験があなたを待っていますから。 とはいえその夢はすぐ覚めてしまいます。蜃気楼みたいだったビル群も間近に見れば薄汚れたコンクリートの塊。排気ガス、悪臭、ホームレス、鉄条網、鉄格子、ゴミ。どうせこんなもの、旅慣れたあなたはがっかりもせず観光ポイントを周り、そのうち高名なアマゾナス劇場にも足を運ぶでしょう。と再び唐突に、今度は本物の夢があなたを取り囲んでいます。 それは完璧な壮麗さ。惜しげもない大理石使い、目をみはる細工の調度品、一分の隙もない天井画。十九世紀西欧貴族階級の日常へ時空を越えて入り込んだと見紛うばかり。アマゾン奥地になぜこんな場所が? マナウスの都市化とアマゾナス劇場の建立には19世紀後半のゴム景気が大きく関わっています。産業革命後、ゴムの需要が北半球で急上昇すると、生産拠点を押さえるため多くの資本家が西欧から移住してきました。ブラジル国内からも失業者が集い、奥地の辺鄙な町だったマナウスは急激に発展します。劇場の発足は1896年ですが、その頃には西洋風の街並みと電気通信設備を備えた南米屈指の近代都市が誕生していました。 アマゾナス劇場の大理石はきっと多くのことを記憶しているでしょう、例えば黄金が溢れる街エルドラードの伝説なども。大航海時代、その伝説が多くの西欧人を南米へと駆り立てました。アマゾン川上流にそれがあると信じた探検家も多く、マナウス周辺に位置するという噂は根強く残りました。 19世紀に移住した西欧人にとってはゴムこそが黄金であり、マナウスこそ理想郷と見えたのではないでしょうか。アマゾナス劇場とはそれら「理想郷の夢」の容れ物である、そんな法螺だって許されそうな佇まいが、この予想外に華美な劇場にはあるのです。 さて、20世紀初頭にアジアで安定的なゴム生産が実現化すると、ブラジルのゴム景気は急速にしぼみ、マナウスは西欧人の理想郷ではなくなっていきました。この「理想郷の発展と没落」を背景にした傑作小説『エルドラードの孤児』が、マナウス旅行の前準備としてお勧めなのです。 小説の主人公アルミントはマナウス近郊の町の名士コルドヴィウ家の嫡男。第一次世界大戦の少し前、ブラジル産ゴムのシェアが急激に奪われていくちょうどその頃に家業であるゴム輸出事業を受け継ぎます。父はやり手の実業家にして篤志家でもあったのに、アルミントの方は怠惰な放蕩息子。悪化する事業になんの手も打たず、ただ恋の叶う理想郷の夢を見て遺産を食い潰していきます。 抑圧的だった父との確執、母代わりだったインディオのフロリッタとの関係、謎めいた孤児ジナウラへの思慕をアルミントはぶっきらぼうに語ります。父に折られた心で人生を浪費する軟弱な跡取り、というふうに最初は見えるのですが、「理想郷の夢」に憑かれたコルドヴィウ家の過去が少しづつ明らかになるにつれ、読者は彼の人生の破滅的で色気のある美しさに触れらるようになっていきます。アマゾンに駆り立てられた西欧人の野望、彼らが犯したインディオへの罪、都市民化したインディオの悲痛な想像力が、彼の人生を運命的に彩っているのです。 コロナ後の海外旅行に向けて小説を読んでおく、そんな贅沢な準備はいかがでしょうか。〈インディオを見たいと言った観光客がいたっけ。おれは言ったよ。町の住民を見ればいい〉老齢となったアルミントはそう語ります。この文に宿る悲しみを理解してマナウスを訪れるなら、壮麗なアマゾナス劇場が保存する夢だけでなく、市中の薄汚れたコンクリートが記憶する「理想郷の夢」にも触れられるようになるでしょう。そうして眺めるマナウスは、きっと、どんなエルドラードより忘れがたい光景となるはず。 おまけ この小説は本国ブラジルで2015年に『Órfãos do Eldorado』のタイトルで映画化されています(2021年10月現在、IMDbで星6.2とあまり評価は芳しくないようですが)。以下は予告編。筋骨隆々かなしげ髭イケメンを見よ。 『エルドラードの孤児』著者 : ミウトン・ハトゥン翻訳 : 武田千香価格 : ¥2000+税ISBN:978-4-8010-0291-3 C0397出版社 : 水声社発売日 : 2017年11月中旬 水声社への直接注文はこちら。 他の書評 投稿ナビゲーション 【書評】『アフター・クロード』アイリス・オーウェンス【書評】『詐欺師の楽園』ヴォルフガング・ヒルデスハイマー